かつては栄華を誇った鉱山、工場などが悠久の歴史の流れとともに消えてゆく姿を追い求めさまよっています。 ・・・・・・とか言ってますが、単にツーリングのネタ作りだったりして

2015年4月アーカイブ

紀和鉱山跡

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近かったので妙法鉱山のついでに立ち寄りました
とは言っても到着したのは午後4時、すでに日は落ちかけています

紀和鉱山も規模の大きな鉱山で、保存されているわけではありませんが
選鉱場跡の付近に資料館が併設されています
見たかったのですが、時間が押していたため閉館に間に合いませんでした・・・・・残念


紀和鉱山の歴史も古く奈良の大仏建造時にはここから産出した銅が大量に使われてと言われています

本格的な採掘は1934年から

石原産業という企業がこの地にある鉱山をまとめ
トンネル工事と並行して鉱脈探しをし、鉱山を開発したそうで
1941年には選鉱場のあった板屋から海岸沿いの阿田和駅まで架空索道がかけられていました
操業自体は昭和53年まで続いていたそうで、鉱山の中では割と最近まで操業していた部類に入ります

それにしてもかなりの規模ですね


場所はこちら、三重県熊野市の山中です






新宮市の渋滞を避けるべく妙法鉱山から山側を回ってきたのですが
廃道寸前のかなりの狭路で予想以上に時間がかかってしまいました


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逆光で暗くなってしまった・・・・・





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左側は立入禁止になっていたので右側から失礼します
すごいですね、何段あるんでしょう・・・・・





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左側に来ました

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左側は軌道敷が延々と続いています
起動沿いに登ってみます

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2階層に1つぐらいの割合で支線があります

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左手にはトランスが

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さらに上ります




トンネルが見えてきました

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ここを超えると最上部です
トロッコの土台だけ残っていました

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ケーブルカーの様なものだったんですね
ウインチもありました

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選鉱場下の左手には坑道があります
すでに水没していると思われますがどれぐらいの長さがあったんでしょうか?

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ここから出た鉱石をケーブルカーに載せて選鉱場の最上部まで運んだんですね





すでに閉館時間を過ぎてしまいましたが
せっかくなので資料館にも寄ってみます

広場にトロッコが置いてありました

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これは何の装置?

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ウィンチかな?




そういえばシックナーがありませんでした、おかしいですね
浮遊選鉱はしなかったんでしょうか??

GoogleMapsを見てみます




もしかしてこれ?
かなりの大きさです



地理院地図で1976年(昭和51年)の地図を見てみます

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やはりそうみたいです、見ておけばよかった・・・・



なんとなく架空索道の跡のようなものも見えますが
解像度が低いので今ひとつわかりません

ふもとにある住宅の規模も大きいですね


この紀和鉱山戦時中は朝鮮人の強制連行があったという記録もあるそうです

「強制」だったのか、「連行」だったのか、単なる「徴用」だったのかはわかりません
「いい仕事があるんだけど来ない?」とか言ってだまして連れてきたのかどうかも分かりませんが

しかし海を越えてきたこの場所で、多くの方が亡くなったのはおそらく事実でしょう

妙法鉱山跡

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sdw引っ越しが決まったのですが、和歌山方面はほとんど回っていなかったので
今のうちに回っておこうと言う事でやってきました
妙法鉱山です

妙法鉱山の歴史はかなり古く、平安時代からと言われていますが
本格的な採掘がはじまったのは太平洋戦争前と言う事なので、1930年ぐらいでしょうか
主な鉱物は銅、硫化鉄です

1954年には経営権が三菱に移りましたが、昭和47年銅価格の暴落により
別子、足尾などと同じくして閉山となりました
和歌山には比較的鉱山が多く、最盛期には20ほどの鉱山、炭鉱があったらしいです
産出する鉱物もマンガンなどではなく、コバルト、ニッケル、銅、鉄、金などが多く
各鉱山はそれなりの規模を誇っていたのではないかと思います






場所は国道42号から那智の滝へ行く道の途中を左にそれたところにあり
アクセスは比較的容易で、車を止める場所もあります




最下部には立入禁止の札がありますが
道路を少し登ったヘアピンカーブの頂点のとこらからも入れそうです


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いやがおうにもテンションが上がるこの佇まい
かつてはシックナーを使ってスッポンの養殖がされていたそうですが
今は完全に放置されています




下からではなかなか全貌がつかみにくいですが、
GoogleMapsを見るとかなり規模が大きかったということがわかります







所有権の問題もあるでしょうが
別に資料館とか作らなくてもいいので、行政に柵と遊歩道で誰でも見学できるような状態で保存してもらえるとうれしいですね
大切な昭和の産業遺産ですから


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事務所か何かの倒壊した跡
どんな形をしていたのかもわかりません





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選鉱場跡のような柱が見えてきました





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ダンプへ積み込むためのホッパー跡と思われます





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シックナー、かなりデカいです




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このシックナーは下部に行く階段があります

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ここにも何かの選鉱施設があったようです





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新しく芽吹く命と過去の遺跡が対照的





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選鉱施設、この上段と下段には両サイドへ抜ける軌道敷か何かがあったんでしょうか?
イマイチこの施設の全容がわかりません





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その反対側





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ホッパー出口と思われるところからは、銅が溶けたような色をした跡がついています





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右へそれると通路のようなものが残っていました





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水路・・・・?




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さらに上の階層に来ました





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最上部のシックナー
下から見ると砲台かトーチカみたいに見えます





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さらに上の階層へ・・・・・電気コンロがありました





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ここが最上部のようです





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さらに上に登ると広場になっていて、ここにもホッパー跡のような遺構がありました



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広場の左手には貯水槽か沈殿槽のようなものがあり





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櫓らしきものもありました






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熊野古道という世界遺産の陰に隠れてひっそりとたたずむ昭和の産業が残した遺産
そんな印象を受けました


いつかまた訪れたいです

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