近かったので妙法鉱山のついでに立ち寄りました
とは言っても到着したのは午後4時、すでに日は落ちかけています
紀和鉱山も規模の大きな鉱山で、保存されているわけではありませんが
選鉱場跡の付近に資料館が併設されています
見たかったのですが、時間が押していたため閉館に間に合いませんでした・・・・・残念
紀和鉱山の歴史も古く奈良の大仏建造時にはここから産出した銅が大量に使われてと言われています
本格的な採掘は1934年から
石原産業という企業がこの地にある鉱山をまとめ
トンネル工事と並行して鉱脈探しをし、鉱山を開発したそうで
1941年には選鉱場のあった板屋から海岸沿いの阿田和駅まで架空索道がかけられていました
操業自体は昭和53年まで続いていたそうで、鉱山の中では割と最近まで操業していた部類に入ります
それにしてもかなりの規模ですね
場所はこちら、三重県熊野市の山中です
新宮市の渋滞を避けるべく妙法鉱山から山側を回ってきたのですが
廃道寸前のかなりの狭路で予想以上に時間がかかってしまいました
逆光で暗くなってしまった・・・・・
左側は立入禁止になっていたので右側から失礼します
すごいですね、何段あるんでしょう・・・・・
左側に来ました
左側は軌道敷が延々と続いています
起動沿いに登ってみます
2階層に1つぐらいの割合で支線があります
左手にはトランスが
さらに上ります
トンネルが見えてきました
ここを超えると最上部です
トロッコの土台だけ残っていました
ケーブルカーの様なものだったんですね
ウインチもありました
選鉱場下の左手には坑道があります
すでに水没していると思われますがどれぐらいの長さがあったんでしょうか?
ここから出た鉱石をケーブルカーに載せて選鉱場の最上部まで運んだんですね
すでに閉館時間を過ぎてしまいましたが
せっかくなので資料館にも寄ってみます
広場にトロッコが置いてありました
これは何の装置?
ウィンチかな?
そういえばシックナーがありませんでした、おかしいですね
浮遊選鉱はしなかったんでしょうか??
GoogleMapsを見てみます
もしかしてこれ?
かなりの大きさです
地理院地図で1976年(昭和51年)の地図を見てみます
やはりそうみたいです、見ておけばよかった・・・・
なんとなく架空索道の跡のようなものも見えますが
解像度が低いので今ひとつわかりません
ふもとにある住宅の規模も大きいですね
この紀和鉱山戦時中は朝鮮人の強制連行があったという記録もあるそうです
「強制」だったのか、「連行」だったのか、単なる「徴用」だったのかはわかりません
「いい仕事があるんだけど来ない?」とか言ってだまして連れてきたのかどうかも分かりませんが
しかし海を越えてきたこの場所で、多くの方が亡くなったのはおそらく事実でしょう