明治の時代より近くの川で砂金が取れるため、手稲山には金が眠っているとうわさされていましたが
鉱脈探しには苦戦していたようです
昭和に入り金、銀、銅、亜鉛など月産6万トンという日本第2位の規模まで拡大しましたが
そのが徐々に減少し始め1971年で閉山となりました
近くには金山という地名があったり、手稲鉱山行きのバスが走っていたりと
規模の大きさを物語るものがあちこちで見受けられます
入口の下にバイクを止め少し登ってみましたが
どうやら立入禁止のようです
作業車が上ったり下ったりしていました
少しだけ登って選鉱場らしきものが見えるところから撮影させていただきました
ち、近くで見てみたかった
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