築別炭砿は、羽幌炭鉱3抗の中の一つで
羽幌本坑、上羽幌抗、築別抗で成り立っていました
明治のころから大規模な石炭の鉱脈があるのはわかっていましたが
輸送手段がないため本格的な開発は昭和に入ってからとなります
昭和15年には小学校、22年には中学校も開設し
町の人口は多い時で1万人規模に達したといわれています
しかし、昭和30年代後半から石油へのシフトが始まり
業績は悪化、坑道の一本化や設備の機械化で合理化を図りましたが
昭和45年に閉山
小学校は宿泊施設としてリニューアルオープンしましたが
消えゆく街へ訪れる利用者も少なく、しばらくして閉館となりました
今回はホッパー跡、住宅後、小学校跡など訪れましたが
かなりの数の遺構があり、時間の関係上見れなかった部分も多数あります
向かう途中で鉄道橋脚跡を見つけました
築別炭砿ホッパー跡
コンクリートの厚みが薄いからなのかかなり老朽化が進んでいます
この部分に列車を止め、上から石炭を落とす構造になっていたんだと思います
消防署跡
ホッパー跡
今にも足が折れそうな危険な状態です
発電所跡
煙突以外はほとんど残っていません
住宅後
さすがにちょっと不気味です
病院跡
もはや倒壊寸前の状態
太陽小学校跡
ここは噂通りすごかったです
その他の画像はフォトブログで
同体育館
現在は観光施設として保存されているようですが
特に維持管理はされていないようなので、いつか倒壊するかもしれません
今まで見た中では一番すごい場所でした
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