かつては栄華を誇った鉱山、工場などが悠久の歴史の流れとともに消えてゆく姿を追い求めさまよっています。 ・・・・・・とか言ってますが、単にツーリングのネタ作りだったりして

2015年6月アーカイブ

朝日炭鉱

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夕張大新坑の後は幌内ダムのキャンプ場で宿泊した後
万字炭鉱へ行く予定だったのですが、


「クマがでました!」
よって閉鎖中

の看板にビビってしまい
岩見沢市内に泊まることにしました

と言う訳なので朝日炭鉱です




朝日炭鉱は諸説あるようですが1919年~1970年創業の炭鉱で
夕張~羽幌へと続く鉱床のうちの一つ

夕張から岩見沢へと向かう道道の途中に万字鉄道の朝日益が保存されています





以前はこの裏手に選炭施設があったらしいのですが
跡形もなく消えていました

国土地理院地図によると


Asa 03.jpg




あったみたいです

実はこの裏手の林の中に坑道の入口などがあるらしいのですが
訪れたときは情報収集不足で見落としてしまいました

機会があれば再び立ち寄りたいと思います

幌内炭鉱

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幌内炭鉱は三笠市内一帯に広がる北炭の炭鉱で
道内ではもっとも古くからある近代炭鉱として知られています



開山は1879年、閉山は1989年
100年以上続いた大規模な炭鉱
最深部の深さは1000mにも達し、日本最深と言われていました

昭和50年にガス爆発事故が発生
13名の不明者を残したまま消火のため注水
24名の方が亡くなられたという悲しい歴史も残っています

事故後2年間操業休止
その後再開しましたが、すでに石炭の時代は終わり
それからおよそ10年後に閉山となりました


三笠鉄道記念館を越え、そのまままっすぐ県道を進むと変電所まで行ってしまい
それで終わりになってしまうのですが

途中シックナーのあるところの右に分かれる道へ進むと
数々の遺構が見られる上
そのまま進んでいくと変電所へ抜けることができます
(分かれ道から先はダートです)


少し歩くといくつかの遺構が目に入ってきます
残念ながらこの日は雨ふりで、きれいな写真は撮れませんでした

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しばらく進むと道がきれいになり案内板が現れました
この場所は、保存とまではいきませんが
見学しやすいように整備されているようですね


このあたりはどうやら常盤坑の関連施設のようです
絵がアバウトで、何がどれの土台なのかいまいちわかりませんですが
取りあえず規模の大きな施設と言うのはよくわかります


クレーンの土台や

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安全灯置き場

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音羽坑の坑口


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この変電所跡はなかなかの物でした
造りが立派と言う事もあり
時々個展などに貸し出されているようです

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なかなか見ごたえのある所でした
が、埋もれているものを探し出す感に乏しいので
イマイチ感動が少ないかも

変電所だけならかなりアクセスしやすいです

幌内炭鉱はこれ以外にも少し離れた場所に竪坑櫓があります

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ご覧のように会社の敷地内にあるため

許可をもらわないと見学するのは難しそうです

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解説ボードが立ててあるのでこれを読んでおとなしく帰りましょう



この付近に三笠坑とその変電所跡があるのですが
車どおりが多く、後の予定も詰まっているため
突入困難と判断し、今回はやめておきました

ニッチツ鉱山

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今までは中部地方をメインに紹介していましたが
今回から関東編になります

なぜか?








・・・・・・・・・・・引っ越したからw



そんな訳で近いところから順に訪問していきたいと思います

今回はその筋では超有名なニッチツ鉱山



秩父鉱山周辺の山々はもともと堆積岩でできているのですが
マグマが流れ込んで接触変成した部分で大理石や石灰石、
マグマに含まれていた各種鉱物の鉱床が存在しています


発見されたのは1600年ごろ、甲斐武田氏によって金鉱脈が採掘されました

本格的な採掘は1910年頃の鉄鉱石からで
最盛期は1960年頃の亜鉛や磁鉄鉱
1970年ごろからは珪砂の採掘を開始し
80年になるころには金属の採掘が中止になりました

現在は規模を縮小して操業中です

最盛期の人口は不明ですが、学校があるところからしておそらく500人ぐらいはいたのではないでしょうか?




場所は秩父の山奥
冬は雪深い場所です





GWの時期に行きかけたのですが
あまりに渋滞がひどく泣く泣く引き返しました

なので2度目の挑戦です
今回は連休直後ということもあってかなりスムーズに到着することができました




まずは有名な郵便局


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まだ現役で営業してそうな雰囲気です




そこを通り過ぎて右手に操業中の施設を見ながら
しばらく行くと社宅とその関連施設があります


入り口付近にあった寮
ここは大広間とかあったりして他と比べると規模の大きな建物です

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ん?
右下が開いている





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倒壊寸前とまではいきませんが
内部はわりと荒れている様子です





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建物の中庭に出ました

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内部の様子

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坂を下っていくと
さらに3棟ほど
別の寮がありました

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おや?
鹿でも住んでいたんでしょうか??

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イタズラだとすぐに解るんですが
あんまり気持ちのいいもんじゃないですね
というかモノを動かすのは廃墟探索者にあるまじき行為です

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そこから下に降りると講堂のようなものがありました
ここはすごいですね

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天井が崩れてステージがめちゃめちゃです

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これほどの物件はなかなかないですね
雪のせいか大穴があいてしまっているので、もうそんなに長くはもたないと思います


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講堂の奥には病院跡もありました

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手術台?が不気味です

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ここは痛みがひどいです
明日崩れても不思議ではないくらいひどいです

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押したけど誰も返事しなかった

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広場にはカマドのようなものが置いてあります

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橋が架かっています
ここが正面なのかな?







社宅跡はこんなこんな感じですが
鉱山なので鉱山らしい施設が見たいのですが
さすがに選鉱所らしき物がある操業中のところには近づくわけにもいかず

少し調べてみましたが、坑道跡がいくつかあるらしい

せっかくなので見に行きます


林道を少し奥に入ったところにありました

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洞道窪伸道・・・・かな? 1024mというのは長さなのかな
もしかして隧道?

軌道敷とかは無さそうなんですが
撤去されたんでしょうか?

たしか索道もあったはず




いつか再訪問して埋もれた部分も探索してみたいです

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