幾春別地区では最も規模の大きい奔別炭鉱で
最初に石炭が発見されたのは1880年
今から140年ほど昔の話です
本格的な採炭が始まったのはその20年後の1900年から
その後何度かの譲渡や経営権変更などが行われ
1928年に住友へ経営権が移り規模が拡大していきました
1960年には立坑を建設、奔別坑道と弥生坑道連結し重機の導入など
積極的な開発を進めましたが、深部へ向かうにつれ労働条件が悪化し
立坑建設からわずか11年後の1971年に操業を停止しました
その後閉山のため立坑解体作業を行っていましたが
坑内から発生したガスにより爆発事故が起き
5人の作業員の方がなくなられました
というわけでやって来ました奔別炭鉱
ここも見たかった産業遺産の一つです
建物自体は手入れはされてないですが
プレートが貼ってあるところからして保存対象にはなっている?ようです
Googleの衛星写真からでも立派な立坑跡が確認できます
実際近くで見ると、言葉を失ってしまいます
美しいとか、そういうのとはまた違った感動なんでしょうか
ぜひ生で見ていただきたいです
竪坑櫓にまだワイヤーがかかったままになっています
本来こういう状態で残っているものは無いはずなんですが
解体作業中の事故で作業が中断した為だそうです
櫓の前の部分が骨組みだけになっているのは
爆発事故の影響?
メタンガスの爆発でしょうか?
よく見ると一部の屋根は残っていますよね
どれぐらいの衝撃だったんでしょうか
事故防止と保存のため入口はがっちりガードしてあります
建物の中でも
コンクリート製の部分は大丈夫だったようです
裏側へまわってみました
この竪坑櫓はスキップ(主に石炭やズリなどを運ぶカゴ)とケージ(人を運ぶカゴ)
が合体したスキップ・ケージという方式だったようです
すみません立坑巻き上げ機にはあまり詳しくないので・・・・
反対側にはホッパーの遺構も残っています
石炭搬出用の施設です
下部に鉄道が走っていたんでしょうね
おそらくどこかに斜坑もあると思うんですけど
下調べしてないので今回はパスです
過去の状況を見てみます
76年の状況
右奥の更地は住宅だったんですね
当然ですが、立坑の施設はまだきれいです
屋根も残っているところからして、建物が骨組みになってしまったのは
老朽化が原因のようですね
ホッパー建屋の裏に謎の施設が見えますが
これは何なんでしょう?
シックナーのようなものも見えます
他の炭鉱ほどではないですが
全体的にコンクリート部分の劣化が進行しつつあります
あと何年持つのでしょうか?
北海道には今年登録された文化遺産よりも数倍素晴らしい産業遺産
(軍艦島には負けますが)がたくさんあります
しかし北海道が広すぎるのと、通常の観光資産が多すぎて
訪れる人の目に留まることは、ほとんどありません
戦前、戦後の日本を支えた大切な記憶なのに
ただ朽ちていくだけというのはとても残念なことです
炭鉱の街の象徴、あのすばらしい竪坑櫓だけでも残ってほしいですね
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