かつては栄華を誇った鉱山、工場などが悠久の歴史の流れとともに消えてゆく姿を追い求めさまよっています。 ・・・・・・とか言ってますが、単にツーリングのネタ作りだったりして

北辰中学校跡

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羽幌町立北辰中学校跡は
羽幌本坑と築別炭砿の間にあります







割と目立つ建物なんですが
今まで全く気付かずに前を通過していました


この建物は1965年(昭和40年)に完成したものだそうです

1970年(昭和45年)に8クラス270名ほどいた生徒数も
炭鉱閉鎖に伴い翌年には30名ほどまで激減

その年のうちにこの公社に通う生徒がいなくなってしまったため
同年に移転のため閉鎖となったそうです
中学校自体は移転後4年ほど続いたとのことです






道路から見てもこのようにとても目立つ場所にあります
どうして今まで見落としてたんだろう・・・・

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案内板も設置してありました
炭鉱跡と同じく羽幌地区の文化遺産的な扱いになっています

が、建物自体の手入れ等はされていません

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いかにも学校ですっ!って感じですね

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おじゃまします

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校庭に出ました

定期的に何かに使われているのか
ちゃんと草刈りされています

ガラスの割れ具合がそそりますね

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おや?入口が・・・・
ある

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はいる?(はい/いいえ)

はいw



資材置き場&ゴミ捨て場のようになっています
ヒドイねこれは

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鉄筋ではなく鉄骨スレートなのかな?

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廊下を走ってはいけませーん
って聞こえてきそうです

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2階はいいや

お邪魔しました~

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この煙突は何でしょう?
焼却炉かな?

暖房設備?

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昔の写真を見る限り
どうやら北側に体育館もあったみたいです

雪で倒壊したのか、危ないから解体したのかまではわかりません



※2018年9月訪問

再びこのルートを通る機会があったので
公園で一休みしていたら、浅野炭鉱に関する資料が展示してありました

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浅野炭鉱もそうですが
昭和炭坑のあの場所にこれだけの施設があったというのはにわかに信じがたいですね


ちょうどダムの水位が下がっていたので
下に降りてみました

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確かにこの下に街は存在していた!




少し下ったところに資料館がありましたが
残念ながら平日は閉館している様子です

広場に留萌鉄道当時の車両が展示してありました

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かなりきれいな状態で保存されています
鉄道の事はほとんどわからないのですが
昔のメカって何かそそるもんがありますよね





資料館見たかった・・・・・・(´・ω・`)

(番外編)旧 とうやこ幼稚園

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産業・・・・・とはあんまし関係ないのですが
有珠山の噴火跡を見て見たかったのでついでに訪問させていただきました





2000年3月に噴火して、周囲に甚大な被害をもたらした有珠山の噴火で
死者事は出なかったものの、周囲の施設はほぼすべて破壊されてしまいました

現在でもほぼそのままの状態で保存されていて
洞爺湖側にはメモリアルパークも作られています


現地にはすぐ横に駐車場もあり
海側の国道から登ればアクセスも容易です



正面からではさほど影響受けてないように見えますが

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内部は天井に火山弾が突き抜けたような跡があります
もし中に人がいたらと思うとゾッとしますね

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中はめちゃめちゃに荒らされています
汚部屋とか言うレベルではないですね
人為的なものかどうなのかわかりませんが、誰かがやったのだとしたら許すまじき行為ですね

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建物の裏には放置されたようちえんバスがありました

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付近の道路は地殻変動で傾いてしまっています

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さらに奥へ進むと別の施設がありました

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これはお菓子工場だったらしいです(って書いてあったw)



一般の民家もあったみたいです

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このまままっすぐ進むと洞爺湖に出られます
が、特に用は無いので引き返しました


Mapで見ると判るのですが
有珠山は山頂から見て西側の麓のあちこちに火口があり
いつ新しい火口ができてもおかしくないようなところです

そして東側には平地からにょっきり現れた昭和新山もあるため
非常に火山活動の活発なところだということがわかりますね

美唄炭坑

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美唄炭坑は三菱が開発した国内でも有数の規模を誇る炭鉱です

創業は1915年(大正4年)閉山は1972年(昭和47年)ですが
美唄炭坑自体は少し離れた場所で露天掘りとして現在も採炭されていて
年間9万トンほどの産出量があります(最盛期は180万トン)

現在ではメモリアルパークとして原炭ポケット
2連立坑櫓、電源管理所が保存の状態で残されています








わざわざ はるばる とおいところから きたのに くまがでるから へいさ って かんばん でてました

昭和炭鉱行った後で耐性付いていたので
もちろん気にせずに見学させていただきました



とてもきれいに整備された公園です

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立坑櫓が美しいです

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こちらは電源管理所

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これが原炭ポケット

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案内板も設置してありました
優しい・・・・・


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予定ではこの付近で宿泊して
沼東小学校へ行くつもりでしたが、前日に時間オーバーしたので
今回は訪問するのやめました


昭和炭鉱

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昭和炭鉱は以前記事にした浅野炭鉱と同エリアにある炭鉱です
開坑は1930年(昭和5年)閉山は1969年(昭和44年)です
最盛期にはこの山の中の炭坑に約4000人ほどの方がが暮らしていたそうです





アクセスは非常に悪く、入口にゲートがあるため車両での侵入は不可能です
ゲートから歩いていく必要があるのですが
目的地まで約1時間かかります

また途中に分岐路もあり、クマが出没する危険もあるため(誰も来ない場所のためクマが出没しても認知されない)
探索は最大限の自己責任となります
この山を北北西に下った先にある山が、あの有名な三毛別熊事件で有名な場所です


こちらがそのゲート

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たとえこのゲートを突破したとしても
この先で道が崩壊しているためその先には進めません
自転車ならなんとかなるかもしれませんが、分岐点から先は藪に阻まれて進む事が出来ません

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しばらくこのような道が続きます



途中こんなのや

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こんなのもありますけど

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気にしたら負けですw




40分ほど歩いていくつか橋を渡ったところに分かれ道があります

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左の道は藪の中に消えています
右の道はなんか行けそうな雰囲気です
つい右に行ってしまいそうになりますが、ここは左の道が正解です



しばらく進むと完全に藪漕ぎになります
もうすでに道なのか何なのかわからない状態です

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泣きそうになったころにアパートの遺構群が見えてきます

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中はかなり荒れている様子

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別の棟に行ってみます

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床などは抜け落ちてしまっています

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建物内部にまで木が生えていますね

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牛乳瓶が落ちてました

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さらに別の棟へ

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ほぼ自然と一体化してます

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探索に夢中で帰り道逆方向に進んでいました
あぶない・・・・

なぜ気づいたかというと、見た記憶のない建物を発見したからw

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空と建物のコントラストの対比が美しいですね



最盛期の状況はどうだったのでしょうか?
いつもお世話になっている国土地理院さんを見てみましょう



こちらは1947年(昭和22年)操業中の様子です
ほぼ草の中に埋まってしまった施設もはっきり残っているのがわかります
ズリ山へのコンベアもあったのですね

川の合流地点の手前にも何らかの施設があった様子です

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これが1977年(昭和52年)の様子

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すでに屋根は抜け落ちていますが、今よりも存在がはっきりしているのがわかります
しかし合流地点の手前の施設や、いくつかの施設は解体もしくは倒壊したのか
存在が確認できなくなっています

情報では合流地点よりより少し手前に隧道マーケットなるものが存在するらしいのですが
探索時はその情報を持っていなかったため、今回の訪問では気づきませんでした

この画像でも今一つはっきりしませんね



昭和炭鉱を探索される場合は
おそらく雪解け時期か、11月ごろに訪問すれば
草も減って探索しやすいのではないかと思いますが
その時期はクマがヤバそうなので行かれる方は気を付けてください

ちなみにクマ除けのスズは何の役にも立たないどころか、居場所を教えるだけなので
持ってても意味無いです
スプレー缶のサイレンとか撃退スプレーなら役立つかも

当然ですが帰りも1時間かかります
余裕を持って行動しましょう

あと可能ならスマホにアプリをダウンロードしたものでもでもいいので
電波なくても使えるGPS地図を持って行くことをお勧めします

このエリアは携帯の電波は届きません、したがって遭難しても救助されることは無いでしょう
ガケは無いので滑落することは無いですし、登山用の装備などは必要ありませんが
遭難した場合通常の登山よりも危険度は高いです
くれぐれも怪我をするような行動は慎んでください
なるべく複数人で行動することをおススメします

また、場所が場所なのでルートをロストするとかなり危険です
夏になるとこの周辺ではにわか雨も多いので、カッパも忘れずに


築別炭坑病院跡

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前回訪問した時はここまで詳しく見てなかったので
再訪したついでに探索してみました



以前より崩壊が進んでいる気が・・・・・

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草をかき分けていけばエントランスへのアクセスは可能です

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内部の様子

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医療設備の類はすべて撤去されている様子です

ここもいずれ雪で倒壊するのでしょうね・・・

羽幌炭鉱 本坑

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羽幌炭鉱は1935年(昭和10年)操業開始の炭鉱です
羽幌地区にはこの本坑と以前紹介した築別炭砿上羽幌坑が存在していました

このエリアには炭鉱の付随施設として小学校、アパート、病院、石炭輸送のための国鉄の路線が存在し
羽幌地区には約三万人が暮らしていたそうです

近代的な設備に改修するなど、効率化が図られましたが
残念ながら1970年(昭和45年)に閉山となりました






比較的アクセスのよい場所にありホッパー横に広場があり車の駐車も可能です



道路に面した部分にホッパーの遺構があり発見は容易だと思います

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「業」の銘板だけ残っています
おそらく羽幌砿業の看板の一部ではないかと思われます

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広場からけもの道を登っていくと
遺構群が見え始めます
草が生い茂っているので注意


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事業所の建屋でしょうか
随分立派な建物です

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内部はすでに崩壊しています

IMG_5533.jpgその奥にある施設
用途は不明です

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立坑の建屋にたどり着きました

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内部へのアクセスも可能なようです

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ホッパーも見つけました

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これが立坑の建屋

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近くで見るとデカいですね

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内部の様子

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これは・・・・・すごい!
なかなか見ごたえがあります
画像ではイマイチ伝わらないのが残念です

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エレベーター

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立坑管理所らしき場所

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さらに奥へと進みます

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何かの保管場所でしょうか?

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水場

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何の場所かな?

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注意書き

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浴場

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これはタイムカード置き場かな?

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とりあえず消化不良起こしそうなぐらいおなか一杯になれる場所でした

浅野雨竜炭鉱

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浅野炭鉱は沼田地区ポロピリ湖の湖畔に存在し
昭和炭鉱へとつながるエリアの一部です
かつてはダムは無く、この辺りは炭鉱の町として栄えていたエリアでした

本格的な採掘は昭和6年から
閉山は昭和43年です

この地区の石炭は火力が強く、なおかつ硫黄分が少ない良質の石炭で
昭和初期の日本の工業に大きく貢献したと思われます

また恵比島駅から昭和炭鉱へ通ずる留萌鉄道も施設され
沼田地区の発展に貢献しました



GoogleMapでは立派な遺構群の存在が確認できるのですが






夏は接近することが困難です
少し通り過ぎた場所に旧道の崩れかけた橋があり
そこからアクセスできそうな気もしますが
すでに廃道になっているため、同様にして利用することができません

夏の間は道道からはその姿を見る事すら困難です

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藪をかき分けやっとの思いでホッパーまでたどり着きましたが
前日の雨の影響でびしょびしょになってしまいました

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結局これしか撮れなかった・・・・・



Webサイトに上がっている画像はだいたい秋か冬の物なので
その時期に探索するのが正解ではないかと思います



かつての状況はどうだったのでしょう?

国土地理院さんの助けを借りて調べてみます


まずは1947年(昭和22年)の状況

まだ操業中ですのでしっかりとした姿を確認することができます
東に向かってコンベアの様なものが伸びているのが確認できます
これはズリを運ぶための物でしょうか?



そして1977年(昭和52年)の状況

Asano-02 e CHO7718-C5A-24.jpg

この時点で施設はほぼ屋根の落ちた状態になっていることが確認できます
コンベアも撤去されていますね




機会があれば再度チャレンジしてみたいですね
降りるルートを再考すれば何とかなるかも

住友赤平炭鉱

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住友赤平の立坑は1963(昭和38)年に完成したものです
炭鉱の歴史から考えると、もうつい最近の話のように思えますね
操業も平成6年とかなり最近まで採掘されていた炭鉱です

現存する施設も程度のいい状態で残っているため
いつでも再開できるのではないかと思ってしまう程です


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道路の反対側に何かの施設がありました
何の施設かは不明です

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道の反対側に入浴施設の遺構もあるとのことでしたが
閉鎖してあったので確認はしていません


街のほぼ中心部に立地しているため見学するのも楽です
当然ですが中には入れません

隣は資料館あったのか・・・・・
気づかなかった




少しさびていますが
他の施設に比べれば、ほとんど傷んでいないですね

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昭和52年の様子です

Aka-Map.jpg



今じゃ草ボーボーです







赤平炭鉱は当時としては画期的な最新設備を導入して
建造されたそうですが、海外からの安い石炭には勝てなかった様です

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深さ650mの立坑は迫力ですね!

三井芦別炭鉱

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三井芦別炭鉱は昭和18年操業開始の比較的新しい炭鉱です
採掘自体も平成四年まで続けられていたそうです

残念ながら立坑跡など当時の施設はほとんど残っていません


唯一残っているのが廃線となった芦別鉄道の橋梁と車両ぐらいです

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GoogleMapで見た現在の様子は




わずかに構造物の土台のようなものが残っています


過去にはどんな状態だったのでしょう?

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Ashicスクリーンショット.png


どうやら立坑跡のようです
近くまで行ってみましたが、接近は困難な様子

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